積極的にメモっていく姿勢

題名詐欺。更新頻度の低さが売り。

コミュニティが生きたまま残っていけるように考えたこと

こちら FuraIT Advent Calendar 2018 最終日の記事であります.皆様にご協力をいただき,無事に完走することができました.ありがたやありがたや......

adventar.org

最初に断っておきますが,よいものがよいものであり続けるとき,残すことだけに注目するのは悲しい結果を招くのかなという考えでいます.そんな記事を書こうかなと思っていたら,このニュース.やっぱり残すだけでも大変なのに,それ以上にわかってもらう必要もあって,維持ってのはすごい労力が割かれるもんだと,まざまざと見せつけられた感じがします.

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181222-00000005-kyt-sctchheadlines.yahoo.co.jp

そこにあるからいいでしょ? 昔と同じ形で残せばいいんでしょ? ってスタンスでも,昔はこうだったから断固こうすべき!って意固地になっても,芯のある人が現れたとき「何のために労力を割いているの?」って真っ当な疑問をぶつけられて「しかたなくやってる」なんて答えが出た瞬間,跡形もなく吹き飛びます.前の記事にも書きましたけれども,自分の中にあるもので動いていかないと,いずれ虚しさだけが残るのかなと感じています.

tomio2480.hatenablog.com

だから,タイトルは「<生きたまま>残っていけるように考えたこと」としました.

昔話~富良野に来るまでのことを思い返す~

自分がコミュニティ活動とか勉強会を認知し始めたのは osc09do に連れていってもらったときです.実にあれから10年の時間が経とうとしています.初めてみたセッションは OSASK 計画でした.高校生には刺激が強すぎませんか.

オープンソースカンファレンス2009 Hokkaido - イベント案内 | 2009-06-20 (土): [企画セッション/僕らが旅に出る理由] 僕がOSASKを作り続ける理由

旭川Unix の勉強会があって,高校3年生のときには「FreeBSD(csh) 縛りで素の vim 以外のエディタを使ってはいけない」という,ほとんど虐待みたいなハンズオンが毎週木曜日に開催されていましたので,足繁く通ったものです.
 
その後は北見へ移り,勉強会の立ち上げをするということで龍巳というホルモン屋さんに集められまして,Ohotech 誕生の話が進みました.こんな記事書いてたんですね.(2013年...... もう5年も前ですね......)

tomio2480.hatenablog.com

北見 Advent Calendar とか懐かしいな.

adventar.org

Ohotech と同時に旭川ではゆるい勉強会というものを立ち上げました.ありがたいことに,今も活動しています.メンバーはちょこちょこ変わりましたが,旭川でITに関連する技術や作品に触れる場が残っていることがうれしいですね.地元ですから,自分の帰りたい場が残っている,これだけで本当にありがたいと思います.昨日の勉強会お疲れさまでした.

asahikawa.connpass.com

学生時代にやった企画でお気に入りなんですが,当時の人たちは覚えていますでしょうか.エンジニアのおすすめする本を学生にプレゼントする企画です.

tomio2480.hatenablog.com

北見を去る前にはこんなことも言っていますね.釧路レギュラーになる日はくるのでしょうか......

tomio2480.hatenablog.com

Ohorec って Ohotech メンバーが北見を満喫して,Ohotech に来てくれる人にすばらしい観光メニューを提案できるようにしよう,という大義名分のもとに生まれたレクなんですが,このときにも今と同じようなもやもやを抱えていたみたいですね.状況が同じだからね.そりゃそうか.

tomio2480.hatenablog.com

このときにいただいたネクタイ.着任式に締めていきました.社会人の第一歩だぞ!って感じで逆に緊張しました...... 結構使いこんじゃって傷んできましたが,まだいけそうです.
 
この Ohotech 今となっては最新の活動が 2016年10月8日 と2年以上もの歳月が経過してしまいました.そこにはそこの事情があるのでしょうから,どうのこうの言える立場じゃないですが,そういった場がひとつ減ってしまったのは惜しいなという気持ちです.(もしかしたら別の形で生きているのかもしれないけど,自分は観測できていません)

ohotech.connpass.com

引き継ぎ会のことを未だに覚えています.きっちり「仕事として」引き継げるように資料を用意したり,Trello で管理したりして「誰でも同じように」できるよう下準備を整えていった記憶があります.(果たしてそれが機能したかどうかは別として)
 
結局,自分たちがやっていたことをそのままやれるようにした,というのがまずかったんだな,と思っています.うまいラーメン屋がおやじの引退でつぶれちまう!→俺たちが作ろう!マニュアル化してくれ!って客が言ったって,あるいは,お前が引き継げ!っておやじが言ったって,そんなもの長続きするかっていったらどうかなってところで.
 
自分は首謀の4名全員が北見を離れることになった際,続けていくのも大変だから,さくっとみんなが覚えてくれているときに解散したほうがいい,と外野から文句を垂れていました.実は,これを実現したコミュニティもあります.「でじぽろ」というコミュニティです.

digiporo.connpass.com

とみおめしがめちゃめちゃ不人気で,唯一の参加者 nasa くんと2人で狸小路の清水亭に行ったとき,過去の自分と彼が同じような悩みを抱えていて「負担になるようなことを置いていくのは忍びなくないか」という意見をストレートに伝えたところ,以上のような運びとなったようです.でじぽろはその後,1度だけ復活を果たします.復活させるべきだと考えた人が,復活させたというのは,残されたものを継続した,ということよりも非常に価値のあることだと思います.

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うらやましい

コミュニティ活動ってないと困るものでもないんです.それなのに時間を割いて,労力をかけて,場をつくっていくのです.食事とか睡眠みたいな必要不可欠な要素じゃないのに,みんなの動きで作られているものです.
 
必要じゃないけどほしいものって誰でも必ずあると思いますが,これを知るまでは欲しくもなんともないのに,知ったとたんに欲しくなりませんでしたか.さらに,知っている人がそれを持っていたら,なおさら欲しくなりませんか.うらやましくなりませんでしたか.
 
コミュニティ活動もその一つなんです.新しいおもちゃみたいなもんで,いいなぁ......うらやましいなぁ......って気持ちが原動力で,決して義務感とか正義感とかそういった類のものでは長続きしないんです.ただ,企業の戦略的なところとかそういうのでやってるのは別ですよ.あくまでも草の根の活動のコミュニティの話.
 
自分は小さいころから,家にも安心して寛げる場所なんてなかったし,親のわからないことに取り組むことは悪とされてきたので,自分を認めて笑ってくれる大人に囲まれる環境であったり,新しいことに挑戦できる環境なんてのは,うらやましいどころの騒ぎではなくって,ほとんどおとぎ話の世界なんです.
 
ひとりの人として扱ってくれる,子ども扱いひどい場合は家畜のごとく管理されて生活する,そんな環境でどうやって挑戦できるんでしょうか.失敗したときに慰めてくれたり,笑ってくれる味方がいない中で,どうやってリスクをとれるのでしょう.
 
できたことを褒めるとか,笑顔があふれるとかそんなことはどうでもよくて,自分の足で進んだのであれば,(命にかかわらなければ,人生に大きな悪影響を与えるのでなければ)たとえ苦しんで仕方がなかったとしても,戻っていける場所,戻っていける人がいるということが何より大事なんです.
 
この未知の世界に挑戦するために培っておくべき人や場のことを「安全基地」というようです.いくつになってもこれがあるかないかで,大胆な挑戦ができるかどうか,差が出てきます.自分の感覚的にも間違いなさそうです.

安全基地 - Wikipedia

生まれ落ちて初めに所属する,家族やそれに類するコミュニティが安全基地になりえないと,人生の進化も妨げられるというものです.好奇心をもって外に挑戦し,自分の存在が脅かされる境遇にさらされたとき,自分を確実に守ってくれる存在がいればもう一歩踏み込んだ挑戦ができるけれど,そうでなければ自分を守るのは自分だけですから,保身するほかなくなるのです.もし,失敗してしまったら,よりたくさんの人に責められる...... 誰にもこの失敗を受け止めてもらえないんだ...... という気持ちで,どうして挑戦ができるでしょうか.
 
極端なことを言えば,家や親が安全基地として機能していれば,コミュニティなんてなくても学校やイベントさえあれば,それで成長していけるのでしょう.しかし,コミュニティで形成された人脈というものは,挑戦の土台云々ではなく,成長の源であり最速の進化につながるものですから,関わって損するものではないのでしょう.(損するようなコミュニティはつぶれてしまえ)
 
自分が北海道を離れよう,と覚悟することができたのは,まぎれもなく勉強会やその他で出会った人たちの存在が大きいです.たとえ東京でうまくいかなかったとしても,自分がやってこれた北海道という場所があるから大丈夫.と根拠もないのに,挑戦しようという気持ちにさせてくれました.10年間で培われたものは,自分の血肉となり,こうして人生に大きな転機を与えてくれるものとなりました.断っておきますが,残念ながら,(自分は生まれがよくわかっていないのでこういう言い方になりますが)育った家の存在ではありません.いや,むしろこの呪縛から解き放たれるために,訣別するために,大きな一歩を踏み出したとさえ言えるほどです.

正しいコミュニティ

ところで,コミュニティの語源をご存じでしょうか.先ほど述べた通り,家族も小さなコミュニティのひとつです.

eigogen.com

こちらとても心に響くことが書いてあります.

https://www.ims.ac.jp/publications/letters75/75_13.pdf

コモンやコミュニケーションなどが派生語にいるみたいです.日本語では「共同体」と言うようですね.つまりは,誰か一人が頑張って成り立つものではないし,誰かひとりの価値観で動くものではないのです.だからこそ,コミュニティの停滞は,構成するメンバーの停滞を意味していて,代り映えのしないコミュニティは滅びゆく運命なのでしょう.もちろん,残らなかったとしてもそれでいいのです.残ってほしいと思うことは自由ですが,発生したことが正解です.それが文化というものですから.
 
FuraIT が至る所から「うらやましい!」と輝く瞳に見つめられる未来があるならば,同時に関わるメンバー全員の成長と進化も同時に成し遂げられていることでしょう.自分がいた5年間にとらわれず,これからの FuraIT が形作られ,いずれ全く違うものになったとしても,富良野圏域にいる情報技術や電子技術を学びたい人たちが進化していける場であり続けられることを祈っています.

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