【みじかい感想】
労力がかかる暗黙知の共有は,ごく一部の形式知が賄える仕事の範囲を超えて,価値の創造が可能.そのための動機づくり,場づくりがひとりひとりの知的生産を下支えする.モノの生産ではないからこそ,機械的すぎるマネジメントでは立ち行かない.
【おおと思ったところ引用集】
(p. 500)
図書館の果たす「暗黙知共有の場」としての役割について考えたい
(p. 500)
図 1 は,米国生産性品質センター (APQC) の KM の考え方を示したものである。ポータル検索などをセルフサービスに過ぎないと切って捨て,より重要で,移転に手間のかかる暗黙知は,人と人のネットワークによって伝わることを指摘する
※ KM = ナレッジ・マネジメント
(p. 501)
情報共有を超えた「豊かな暗黙知が飛び交う組織作り」
(p. 501) コミュニティ・オブ・プラクティスの特徴
一番の特徴は「自発的であり」「知識に注目した集まり」ということだ。ジョン・シーリー・ブラウン元 PARC 所長は,コミュニティを「知識を理解するためのコンセプチャル・フレームワーク (考え方の枠組み) を共有する人々」と定義する。
(p. 501)
コミュニティを超えた知識の移転には,知識の捉え方の違いを埋め合わせるための多大な努力が必要
(p. 502)
「KM は情報を集めること (Collecting Data) ではない,人と人をつなぐこと (Connecting People) だ」
(p. 502)
(p.503)
IT 手動の KM は,これら三つの可視化のうち,「知識の可視化」にのみ着目したアプローチで,その導入に多くの企業が失敗してきたといえる。
(p.503)
知識をデータベースに登録せよと言われても,社員と社員の間に組織を越えた知識共有の動機付けがなければ長続きはしない。納得感がないからだ。
(p. 503)
(p. 503)
顧客を訪れ,観察し,潜在ニーズを感じとる活動をあたりまえのプロセスに埋め込むことで,「真に顧客の求めるもの」を理解する。そして組織を超えた対話,議論を当たり前のプロセスに埋め込むことで,組織全体の知力を結集する
(p. 504)
アイデアが出たらすぐに形にし,多様な視点から検証することをあたりまえのプロセスに埋め込むことで,「新しいことを始める」文化を創る
(p. 504)
形式知と結びついた形で対話が始まり,形式知だけでは表現仕切れない暗黙知(たとえば「状況が変わったときに,その知識がどのような形で適用可能か」といったメタ知識)が,形式知と関連付け共有されることがもっとも重要である
(p. 504)
「学生は教室を出た直後(フォーマルからインフォーマルに移動する瞬間)に,多くのことを相互学習している」
(p. 504)
このセンターの各教室の出入り口に,必ず広いスペースがあり,ホワイトボードや移動式の椅子,喫茶店のようなソファー席が用意されているのは,このためである。
(p. 505)
企業トップの最大の悩みは,企業活動のゴールを明確に示せないことにある。それは製品を作れば売れた工業化社会から,価値を新たに創造していかなければならない知識社会へと,社会経済全体が大きくシフトしているためだ。このような状況下で,トップダウンで課題を分割し,各部門が自分の役割を果たすという旧来のマネジメント・スタイルは立ち行かなくなってきた。
【最後にだらだらとした感想】
全部が全部形式知に置き換えられるものではなく,どうしても暗黙知に頼らざるを得ない場面に遭遇する.であれば,記憶や伝達に手間がかからない方を選択して,知識を蓄えていけばいいのではないかと思った.
とはいえ,状況や作業内容によっては,多少覚えたり教えたりするのに手間取っても,もう一方の形を選んだ方がいいときもある気がする.
たとえば,緊急時の体制や初動,対策については落ち着いて考えて記載しておくこともできるため,形式知で行ける気がするものの,緊急時なんていうのはパニックになっていて,落ち着いてそのとおり実行できるか怪しい.その場合,ざっくりどういう状態に持っていくべきか,という心構えだけを頭に入れておいて,紙に書くには難しいものの行動するのは簡単な暗黙知に頼った方が,状況が荒れずに済むのかもしれない.
めちゃくちゃ雑にまとめると,その辺の取捨選択ができるような日ごろの信頼関係構築を失敗しないようにがんばろうって感じでしょうか.コミュニケーションが多くたって,信頼関係が築けていなければ,それこそ形式的に会話をしておくというだけにとどまって,暗黙知の転移形成にはつながらないだろうし......