ゴールデンウィーク明け,PHP カンファレンス香川 2026 に登壇してきました.プロポーザルを出して採択していただいての登壇でした.
会場は今年も高松市の披雲閣です.旧高松城主の高松松平家別邸として大正期に建てられた,重要文化財の建物です.
自分は「足踏みを恐れない地域の技術コミュニティづくり」と題し,トークセッションをしてきました.今回の会場で一番広い,蘇鉄の間での発表でした.
PHP カンファレンス香川への登壇は,今回で 3 回目になります.2024 年から毎回「地方都市で勉強会をやっていく」一本筋のテーマで,PHP カンファレンス香川用にネタを考えてきました.今年はカンファレンスのテーマが「コシ」とのことでしたので,「足踏み」をキーワードにコミュニティの停滞期をどう捉えるか話しました.
当日の登壇資料はこちらです.
3 部作のおさらい
2024 年「テックブログを読む会」
いつもオンラインで毎週月曜日にやっているブログを読む会を,対面でやってみるワークショップ形式のセッションでした.当日は,会場の参加者を 4 人ずつの班に分け,短い時間ではありましたが,ブログを肴に交流を深めてもらいました.
ブログを読む会の肝は,やることと時間をあらかじめ固定してしまう点にあります.テンプレートを決めてしまえば,毎回ゼロから準備する必要がありません.何を読むかは自由で,テックブログでもリリースノートでも個人ブログでもかまいません.読む対象を変えたり絞ったりするだけで,フレームワークとしてよく機能するのがいいところです.
進め方は note にも書きました.こちらも合わせて読んでいただけると,会の雰囲気がつかめるかと思います.
2025 年「公民館のススメ」
都市部では企業が会場スポンサーとなって勉強会をやっていくのが主流かと思います.しかし,それは会場を貸してくれる企業の状況に,コミュニティの継続可否が左右されかねない,体制の問題とも捉えられます.そこで,住民に開かれている公民館の活用について,過去の実践を踏まえて提案をしました.
市民団体登録して公民館を使えば,金銭的な負担を抑えながら安定して会場を確保できます.たとえば旭川では,公民館のほかにも CoCoDe や大雪クリスタルホールなどの市民向け施設も利用可能です.10〜30 名が入る会議室を 13 時から 19 時まで借りると,室料は神楽公民館の研修室で 960 円,冬期は暖房が加算されて 1,440 円ほどです.大雪クリスタルホールの会議室でも 2,300 円前後で,若者の団体が公益的な活動として申請すれば半額に減免されます.プロジェクターや電源などの設備使用料は別にかかりますが,数百円程度が一般的です.
一方,自分が住んでいた東京多摩地区の場合は,市民団体登録をすれば公民館の利用料が不要となるパターンが多かったです.ただし,市民団体登録をしないで利用予約をすることはできず,旭川のように市民団体登録ナシの代わりに有料で利用できる道が用意されていませんでした.
香川の場合,旭川の事情と近いのかなと感じました.地方都市では,公民館がコミュニティセンターに再編されていて,同じ条件でも 3,000 円前後からでの利用が多いのかなと思います.それでも 10 人で割れば一人あたり数百円から千円程度で,参加者で出し合えば十分に続けられます.
これで勉強会ができる
この 2 回の発表は,どちらもコミュニティをはじめたい人の背中を押すためのものでした.ブログを読む会も公民館の活用も,機械的に運用できるフレームワークなので,最初の一歩を軽くしてくれます.そして今回の「足踏み」は,その延長線上にあります.
うどんにコシを与える「足踏み」
「足踏み」と聞くと,停滞や後退を連想するかもしれません.
一方,うどん作りにおける足踏みは,コシを与えるための重要な工程です.「うどんにコシを与える作業としての足踏み」を,コミュニティで考えるとどうなのか考えることにしました.うどんのコシが生まれる仕組みは,香川大学でうどんの科学を研究してきた三木英三先生の解説(化学と工業 2007 年の特集記事)に詳しいです.
停滞に見える期間を見つめることで,"実は醸成されていた何か" を見逃すまいと今回の登壇に臨みました.定例の勉強会が開けない時期であっても,Slack 上でのやりとりは続いていたり,別の勉強会でメンバーが個々に顔を合わせていたりします.派手な花火を上げ続けることだけが,コミュニティ活動ではありません.
急ぎすぎると,体力的にもきついし,ネタもなくなります.しばらく待つことで,その場にいる人たちに変化が起きることもあります.
たとえば,最初の会に高校生として参加した人が,10 年後に登壇者として戻ってきてすごくいい話をしてくれるかもしれません.毎週/毎月やる勉強会からすると停滞に見えても,いい変化が重なり合う機会をキャッチさえすれば,長い時間のなかで結実するものを享受できると信じています.
止まっているように見えても,コシは育っていたかもしれない.その可能性を,今回の発表では一緒に考えてみたかったのです.
当事者性とコミットメント
ここで言うコミットメントが何を指すかは,以前ブログに書きました.
足踏みの期間に特に浮かび上がりやすいのが,当事者性の問題です.コミュニティには,立ち上げた人,現在の運営担当,以前のリーダー,一参加者と,さまざまな距離感で関わる人がいます.
目立った活動がない期間は,各々がどこまで関わろうとしているか,お互いに見えにくい状況が生まれます.ライフステージ,住んでいる場所,技術の専門領域によって,コミットできる量は変わります.
自分が起こしたコミュニティ,後からリーダーについていく形で関わったコミュニティ,共同代表制のコミュニティと,いろいろな体制を経験しましたが,いずれも,お互いの当事者性を侵害しないことがポイントでした.これが守られている間,コミュニティは残り続けます.
ベストアンサーはたぶんありません.「足踏みでいいじゃないか」とぼくが言ったとて,そう思えない人もいるでしょう.一方で,「早く再開しよう」と急ぐ動きが,誰かに圧をかけることもあります.人が複数いて,それぞれの生活がある限り,変数が多すぎて正解を求めることは難しく,もはやみんなでの決めの問題にしかなりません.
それでも,自分の運営経験,参加者としての体験,コミュニティを後から引き継いだ経験など,複数の立場から見てきたことを踏まえると,足踏みをネガティブに捉えるばかりではもったいないと結論付けるのが自然だと考えました.
新しい世代の流入をどう見るか
発表中にアンケートを取りました.24 件の回答が集まり,最後の自由記述は 7 件も書いてもらえました.発表資料の末尾に添付してあります.
特に興味深いのが,世代をめぐる感覚です.当日のアンケートのグラフを見ると,新しい世代が入ってこないことに対して,回答の半分以上はネガティブな印象が先立っています.
自分の感覚を正直に書くと,新しい世代がコミュニティに入ってこないことは,それほど問題だとは思っていませんでした.新しい世代が自分たちでコミュニティを立ち上げて,そちらで楽しくやっているなら,それはそれでいいことだと思っています.
世代ごとにうまく棲み分けて,いろいろなコミュニティが並び立つほうが,全体としては健全に盛り上がっていると考えています.......とはいえ業界全体に入ってこなかったら......? と思われるのが自然であることは理解できます.
それでも,勢力を拡大することだけがコミュニティのねらいではないと思いますし,本当に消えてなくなってしまうものは想像以上に少ないと思っています.盛り上がって広まっていく楽しみもあれば,こぢんまりと気の合う人たちと過ごせる時間の楽しみもあります.
もちろん,世代を越えて一緒にやれたらうれしい気持ちはあります.ただ,世代が違うと,中心になる話題はともかく,そのまわりで使う比喩や細かな感覚がどうしてもズレます.だからこそ人は同世代で集まりたくなるものだと思いますし,それは考えてもしかたのないことだと割り切っています.しかも,そうした拡大による衝突も避けられず,楽しい思いをする人の裏で,苦しい思いをする人も増えていくのは,みなさんもおわかりのとおりだと思います.
自分としては気の合う人と雑に集まれたらいいなくらいの感覚を持ちながら,このコミュニティをきっかけに無理なく世界が広がるといいなの願いでコミュニティをやっています.劇的な変化は見込めないと思いつつ,気持ちに負担のない広がりを得られるのも悪くないと信じています.
まとめ
「足踏みを恐れない地域の技術コミュニティづくり」のタイトルどおり,停滞を恐れず,ゆったりとコミュニティを続けていく方法もひとつのワザだと思っています.3 回のシリーズとして積み上げてきたテーマが,どこかの地域の技術コミュニティが生まれるきっかけになれば嬉しいです.
技術コミュニティはみんなで作るものです.それがトップダウンっぽくなったとしても,そこに集まる人がそれでいいといえば,それでいいのでしょうし,みんなで決めるのが大事だといえば,それはそうなのでしょうし,在り方は様々です.
少なくとも自分は規模の拡大や資本主義的成功は目指していませんし,大きなねらいから外れたところまでの多様性を担保するために,心を消耗させたり本来の目的を変更したりすることもありません.時代の流れ的にはそちらに振れるのが筋なのでしょうが,時代においていかれようと,周りからみて足踏みに見えようと,疲れない範囲で自分が大事にしたいものを追いかけたいと思います.
