積極的にメモっていく姿勢

題名詐欺。更新頻度の低さが売り。

そこに生きている人は人であり物でも道具でもない

東京にやってきてから9カ月が経とうとしているいま,思うことがあります.ひとつは各地方へのアクセスが非常に容易であること.もう一つは,しかしながらその地方に対しての興味関心が非常に薄い土地であるということです.  

短期的な視点か長期的な視点か,主観的か客観的か

ひとつめは特に説明は不要と思いますが,感じるのはすべて東京を中心に放射状に交通網が巡らせてあり,東京 (しかも23区) から出るのにはいいけれど,それ以外から出ようとすると一旦都心に出向くか,少し遠いまたは不便な道や手段を以って移動することになる感じがします.つまり,東京とほか,という構図はスムーズに行き来できるようになっているものの,ほかの地域同士の行き来はそこまでの恩恵を受けていないように思います.

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いけないことはないですが,これだけ技術や開発が発展しているのにも関わらずなぜ,と感じる人もいるでしょう.結局需要の発するところに設備投資がなされていくということを肌で感じることになりました.仕方がないのですが,やるせない.利便性や維持であったりなんだりを考えると当然なんでしょうが,自分自身となんら変わらない,人類がそこで生活していることを心に置いておいたままではなかなかできない発想だなと思います.(だからどうしろというつもりもない.単純に切ない.)

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特に先日の豪雨では強く思いました.南富良野や中富良野が台風で,厚真が地震で大変なことの後,生活を変える覚悟を以って交通インフラを手放さざるを得ない状況に持ち込まれたわけですが,東京近辺の交通網は数日の間に瞬く間に復旧していきました.同じ人間が住んでいても,こうも違うのかと,メディアでは「確かな品質と速度の合わせ技!」みたいなお慶び申し上げるニュースとコメントが流れてきましたが,数年も待たされた結果,なくなるということもある地方とは,もはや別の国扱いだなと落胆を強めました.

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それでふたつめの話に繋がるのですが,ちょっと考えてみると不思議じゃないし,当然だなとこれもまた思える事柄です.自分は北海道旭川市出身で,その後も北見市富良野市と暫くの間を北海道で過ごしました.意識が向いているのは就職や仕事で関係ありそうな街のことくらいで,本気で移住する話が持ち上がらない限り,生活話題なんて気にも留めないし,災害が起きたとてニュースの流れとともに忘れ去られてしまうものです.今は,北海道の各地 (といっても都市部が多いですが) のことが気になったり,何かを考える際に現状を引き合いに出したりことが多いです.これは各地の IT コミュニティで出会った人々と触れる中で,その土地土地で課題に向かって努力をされたり,どことも変わらない生活をされたり,あるいはその土地独自の文化で暮らされていたりすることが,即座に鮮明に思い起こせるからだと思います.顔が浮かぶ.これが非常に大きいです.

だからと言って一方的に攻めるのもおかしい 

しかし,生活したことも,イベントに参加したことも,訪れたことさえもない地域について同じように思いを馳せることは,ほとんどないといっても過言ではありません.急に西日本のどこかの街を取り上げて「ここで生活する人の気持ちがわかるもんか」と言われても「不勉強ですいません」以上の言葉が返せません.せいぜい検索してみたり,想像を働かせることが限界で「なぜ」と聞かれても,普段あまり絡みがないから.以上の答えが出ません.  
東京は各地へのアクセスが容易なのにも関わらず,その各地方に対しての興味関心が非常に薄い土地であるということを思うのは,ある種当然なのです.他地方からすると東京は日本の様々なことを (ぼく個人は勝手にと思っていますが) 決めているところで,どうしてもその存在を無視できるものではありません.となると,前述したルールに則ると各地方の方が気にしているところは自分の生活する街と東京,となるわけです.しかも,東京には人間風情が集まりすぎて,どんなメディアをみてもどうしても東京目線,東京基準のなんらかの情報が入ってきてしまい,残念ながら意識せざるを得ない状況だったりします. (最近は,テレビや新聞以外の情報源も多様なので気合を入れさえすれば「排除」はできるかもしれないけど,普通に生まれ育っていく中で一切その情報が入らない環境というのはほとんどない気がする)

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そして,東京はここが「東京と東京」となりつまりは,他の地区のことなど意識する要素を持たない状況に持ち込まれてしまいます.せいぜい観光で行くくらいでしょうか.観光でいくということは,いい表現が思いつきませんが,生きた人間がそこで毎日の営みを続けていることなどどうでもいい,非日常を感じに行くための,夢物語であってほしいくらいでしょうから,映画ドラマとたいして変わらないように感じます.いいところせいぜいテーマパークの意識です.

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いろんな土地から人間がやってきているとはいえ,結局東京のお作法に則って生活もしなきゃいけないし,住めば都ということでいいところも当然出てくるわけです.そんな中で急に「うちの地方のことどう思ってるんだ」と言われても「初めて知りました」くらいの反応しかできず「やっはり都会連中は自分のことばっかりじゃ」と言われてしまうのも,ちょっとかわいそうかなと思ったりも最近はします.東京も一地方であるということを考えると,人間がいて機能を集約させたばっかりにやっかみを付けられるようになったのはかわいそうだなと思う反面,便利税だろ,という意見もかわいそうだけどわからくはないです.

みんなが自分を大事にするだけだと大事にされない人が生まれる

あとは自分を認めるためには,自分のステータスをひとつひとつ認めて価値を上げていく必要がありますから「東京は日本の中心で一番大事にされるべき.地方は遅れている.」と言って自信と取り柄のない自分を守っている人も多いのでしょうが,田舎に移り住んで「地方が日本を支えている.都会で生活するのは未熟な青二才の嗜み方.」と何が違うんでしょうね.

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全部の価値観が一致して,腹を割って話して意見の違いがない人間同士のみで暮らして,他を爪弾きにしていくのが協力の形なのでしょうか.こちらに来てからはそういうことを考えることが非常に増えました.今置かれているところの価値観だけで物事や人を評価して見下していく,自己の守りを展開する人はいくらでもいるのですが,なんだろう特にそういう人に出会う率が増えた気がします. (あれか絶対数が増えたからそういう気持ちになるのか,あるいは自分もそうだから鏡に映った自分の嫌なところに腹を立てているのか?)  
東京でいろいろ考えて,地方に展開していくというのであれば,自分たちと同じく各地域に魂を持った人間が生活していて,その中で生活の質を高める,あるいは課題と向き合って葛藤しているなどなど,そういったことがわかる動きをしたいものです.だからこそ,自分が楽しく毎日を過ごせている根幹である,技術に触れて知る,学ぶきっかけに,日常になる場が全国各地に当たり前のように展開されていくことを願い,現地の空気を吸いにいくことを一番大事にしながら生きていきたいそう思うのでした.

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崩れ去るタピオカ