積極的にメモっていく姿勢

題名詐欺。更新頻度の低さが売り。

コミュニティにおける「場」ー「場」概念の再考と実践研究への応用に関する考察ー(河野,2019)を読んで

mejiro.repo.nii.ac.jp

【みじかい感想】

みじかい感想 = 余白部に収まるくらいに短く書いた感想

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みじかい感想

互いに差分を感じながら,自分と相手の要素を擦り合わせていくことで場が人間関係の中にできあがる.物理接触が最も情報量が多いため,同空間で活動するとうまくいきやすい.また一方的権力のようなものは擦り合わせではないため場が壊れる.

【おおと思ったところ引用集】

おおと思ったところ引用集 = 読んでいてテンションがあがって赤線を引いたところ

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赤線を引いたところ

(p.103)「場」的原理による関係生成の存在を識別するうえでの有効な指標

①各個人が自己のとるべきふるまいについて一定の決定権を持ち、他の構成員と対等な立場で自己表現をおこなっている
②各個人の表現が他の構成員と整合的となるよう自己調整され、集団全体としての表現に寄与している
③個人間で身体性を介して、暗黙知のような非記号的情報の共有がおこなわれている
④活動の方向性が構成員に内面化され、当事者としての立場から理解されている
 

(p.105)グループの自発的な形成を促す要因

①居住地、個人の属性、コミットメントの度合いなどに縛られない「弱い靱帯への開かれ」による多様性の許容
②来場者や関係者による紹介などを仲介とする間接的な「クラスター」型の関係構築による関心グループの拡大と自己生成の加速
③人間同士の本質的共感力に立脚した「根源的共同性」と潜在的に地域を共有するという「場の共同性」にもとづく、相互の尊重と地域の公益性への志向

(p.106)

この活動をまちづくりではなく「まちあそび」と呼ぶが、これには以前まちづくり活動に関わった際に、関係者の合意形成や利害調整を「義務感から」おこなったことで自身が疲弊した教訓を受けてのことだった

(p.107)

「芝の家」という場所を支えているのは、特定の人物、ルール、マニュアルではなく、「この場で生成された価値観や文化」であり、「そこで自発的に生み出された役割」(p.82)である。ここには、成員の部分的な入れ替わりはありうるものの、「芝の家」という場所での様々な実践の蓄積が醸成するコミュニティの文化としての文脈性が息づいているといえる。それは個人の属性やコミットメントの度合いにかかわらず多様性を許容する寛容さであり、そこでの出会いを通じむすばれる個々の関係の尊重と、それにもとづく日々の営みの流れをコミュニティとして受容し、その歴史のなかに位置づけていくことへの共通の了解である
 
主催者の役割は「場を使いやすく整えること」(山納, 2016, p.64)であり、山という場所の共有を通じ「ほったらかしにしておくと場ができてしま」(山納, 2016, p.65)うプロセスを共有すること
 
活動のヴィジョンはあっても、発足時点では主催者を含む何らかの統御主体により設定または予期された展開についてのシナリオは存在せず、偶発性を容認するかたちで全体の活動が展開している事実

(p.108)

イベント数が増えた一方、「分散してきたのか、(全体の状況が)落ち着いてきています」

(p.109)

ここでいうルールとは、集団全体に秩序の方向性を生み出すための個人のふるまいへの拘束条件であり、形式化された規則の体系ではない

(p.110)

行為者はこの内部イメージに従って社会的状況を認識、評価するとともに、自己のおかれた状況や他者の行為が自らの内部イメージと矛盾するとき、自己か他者のそれを変える以外に、相互にそれらを調整し合うという変換作業をおこなうこととなる

(p.112)

「実践コミュニティ」とは、レイヴとウェンガー(Lave & Wenger, 1991)が提示した、徒弟制などにみられる、技能や知識の学習が共同の場での行為を通じておこなわれる集団を指すが、そこでの実践のあり方とは、「正統的周辺参加(Legitimate Peripheral Participation)」と表現される、コミュニティの十全な構成員としての参画を目指し、まずは正当な参加を認められた初心者としての立場から、実践行為を通じてコミュニティ全体のあり方やそこで必要な技能やふるまい方などを学び取っていくというかたちをとる

【最後にだらだらとした感想】

仮に意見が全く受け入れられなかったとしても「この場であれば確かにそうなる」と,納得が行くような価値観に満ちた場であって,かつ,その価値観に納得がいくのであれば,自分の意見が通らなくても心穏やかにいられるということかなと思った.
 
確かに,やることなすことに納得が行かない上に,場に満ちた価値観にも納得が行かなかったら,決して居心地のいい場ではないだろうし,体験から有益な知識や技能を身につけられるだけの姿勢もできないため,百害あって一利なしみたいな状態になっちゃいそう.
 
と思えば「俺のいうことをきけばもっといい場所になるんだよ!」みたいな人がやってきたとて,形式としてうまくいく方法だったとしても,人間関係の問題でよい場が形成されなさそう.結果,場としてはよくならんということか.という理解.何で自分が突然のアドバイスを超ストレスに感じるかわかったかも.
 
徒弟制度みたいな話も出てきたから,その辺もお勉強すると「ITコミュニティみたいな知識技能を手に入れるための場」に関して有益な情報が得られるかもしれないな.(となるとオンラインでの勉強会が一層,不利に見えてしまうので,ここの解消についても何か手がないかお勉強したい.)
 
↓ おうちにあるので読んでいこうな www.oreilly.co.jp

という感じで

学部4年のときにやっていた文献読みを復活させて,ブログにしたためるということをやってみました.当時はブログには載せてなかったけど,同じく余白にかけるくらいに要約して,理解と感想を書いたものをファイリングしていました.やっぱり紙じゃないと読めないや.