積極的にメモっていく姿勢

題名詐欺。更新頻度の低さが売り。

数の呪いと学びの場としてのIT勉強会

Scrum Fest Niseko 2023 というイベントで 15 分話してきました.

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資料の 8 ページ目に「⼈を⼈として扱わず,向かい合わなかったためにクラッキングが起きる」と書きました.この例では懇親会に触れていて,雑に言うと「人がたくさん来ればそれでいい」の思想で行きすぎた結果,懇親会タダ飯喰らいが誕生したのではないか,という主張をしています.
 
これは懇親会に限らず,IT 勉強会,IT コミュニティについても同じようなことが言えるなと感じています.ただこれは,自分が 10-20 名程度の小さな IT 勉強会,IT コミュニティを活動の中心にしていて,大きなカンファレンス主催はあまり考えてないからそう思うのかなとも思います.
 

何人来たかより,どんな人が来たか

最近だと技術広報や DevRel といった,業務で使われている技術や製品が提供する技術の広報を行い,ユーザー獲得,採用候補者獲得を目指す仕事もだいぶ市民権を得てきたと感じます.IT エンジニアの転職情報の記事でさえ,技術広報という単語が登場するようになりました.

 
自分の体感ではエバンジェリストと呼ばれる方々の活躍や,一般的な採用形態とは異なる逆求人,インターンや学生バイトの充実に伴って,状況が変わって言ったように見えています.DevRel 的な話でいうと,かつてよりあったユーザーコミュニティに力を込めるようになってきて,ITエンジニア採用面では制度や手当などに加えて,情報発信や外部露出にも労力を割くようになったような感触です.
 
そうなるとどうしても成果指標として,集客数,SNS の投稿数,動画等の視聴者数など,人の顔が見えない,数自体を追いかける日常が近づいてくるような気がしています.いやいや人の顔のわかる活動してますよ,という方ももちろんいらっしゃるでしょうけれども,今の資本主義に沿った企業活動では,それもなかなか素直に認めてもらえないことも多かろう感じています.
 
ひどい場合,コミュニティの運営に資する人材やインフルエンサーとしての拡散力に期待できる人であると認識した瞬間に距離を縮めてくる,非常に利益に素直な方に直面することもあります.人と人の付き合いの始まりが機能としての魅力であり,付き合いを続ける判断が,利益を享受できるかどうかというのは人としてどうかなという感触です.
 
どんな人が来てくれたか,というのは単にどんな興味があるのかとか,どんなお仕事をしているのかという要素でしかなくて,それ自体がその人と関わる価値に直結させるべきではないなと感じています(もちろん反社とかそういうマイナスなのはまずいですが......).
 

SNS の投稿数より,参加者にどんな学びがあったか

数というテーマでもう一つ気になることがあります.イベントの盛り上がりを演出する,SNS の投稿数です.
 
まあ,勉強会の盛り上がりを演出するために SNS への投稿を促すのも結構ですが,参加者の本来の役割は学びを最大化することであり,イベントの盛り上がりを演出することではありません.たくさんの人が集まったイベントであることを武器に何かを成し遂げたい人としては,参加者にも協力させて自分たちの成果を最大化させたいのでしょう.
 
でもそれは本当に勉強会として公開し,参加者を集めていいものだろうか,と自分がやるとなると良心の呵責に苛まれると思いました.ある会社等が目立つためのイベントとして,個人の学びたいという気持ちを利用しているような気持ちになるというか......
 
IT 勉強会であるからには,学びがあることを追求したいものです.SNS の投稿数を見て,みんなのアウトプットを促せた,と表面的に評価もできるかなとは思いますが,ちょっとこれは浅いかなと感じています.好きで投稿するのは結構なんだけれども,やはり学びに資する動きであって欲しいなと勝手に願っています.
 
どれだけ血肉になったかを評価するためには勉強会内の時間で,ある程度参加者と対話する時間を取らないといけません.実際,話すよりも書く方が記憶の整理整頓に資する方もいるはずで,無理に対話に持ち込むことを勧めるものではありません.なんでもそうですが,全てを解決する施策はこの世にはありませんから,そこも含めて参加者とコミュニケーションを取れるとよいですよね.
 

数の呪いに負けず,学びに向き合う場をつくろう

確かに簡単に IT 勉強会や IT コミュニティの盛り上がりを演出したり,"成果" としてアピールできるものとして,数が簡単にわかるものは魅力的です.そして,その数をコントロールしようと思えば,割と単純な施策で上下させやすいものでもあります.それだけ努力が "成果" に反映されやすい,数の魅力に心が奪われるのもわかります.
 
しかし,IT 勉強会や IT コミュニティの本筋はどこかな,と考えたときには,やっぱり中心にフラットな学びがあるように思います.このあたりの個人的な感覚ついては ↓ の資料で触れています.
 
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ここでようやく懇親会のタダ飯問題に戻ります.懇親会でタダ飯を喰らうことのみを目的とする人類については,学びはスコープ外であることが想像されます.IT 勉強会や IT コミュニティという形を借りてきて,学び以外の目標を達成しようとするという構造であることもわかります.
 
過激なことをいうと,構造としては数の呪いに囚われて IT 勉強会なのに学び以上にわかりやすい数を追い続け,イベントとしての成功から利益を得ようとする動きと重なる部分が見えてきます.
 
ここがはてなブックマークのコメント等でも見られた「企業と寿司おじの化かしあいだろ」という意見の裏側なのかなと理解しています.実際,企業主催の IT 勉強会の場合は注意しないと「ただの勉強会だと思ったのに,めっちゃ DM とか届くし,カジュアル面談しましょう!いつがいいですか?とか言われて騙された」と,参加者としては騙し討ちにあった気持ちになってしまうことも,ままありそうです.
 
数の呪いに囚われて,IT エンジニアの勉強会文化へのリスペクトを失った末路として,学びの場の質が落ち,結果として懇親会タダ飯喰らいを蔓延らせる土壌が肥えてしまったという見方も一つ,頭の中に置いておきたいなと,この記事を書きました.
 
あらためて自分は,IT 勉強会や IT コミュニティに参加してくれた人を数として見るのではなく,SNS の投稿数などにも惑わされず,ここまで足を運んできてくださった方が誰なのか,顔が見える距離で対話できたか,といったところに着目して,空気作りをしていきたいです.
 
人数が多かったり,用事が多かったりすると難しいこともありますが,いろんな人とお話しして,いい学びを生み出す場づくりに向き合い続ける人間でありたいものです.